いよいよですねえ!
《22才の別れ》が全国公開となります。
五年前の《なごり雪》に続いて、大分県津久見市を古里とする伊勢正三さんの懐しの名曲から紡いだ映画が、皆さんにお披露目出来る日がやって来たことの幸福を、今沁み沁みと感じている所です。
懐しの、と言いましたが、この歌が生れてから三十余年、激動の日本の時代の中を生き抜いて来た人たちは勿論、つい先日も仕事で泊った旅先きのホテルの玄関前に、深夜屯するギターを手にした若者たちに、「《なごり雪》って知ってるかい?」、「《22才の別れ》唄える?」、と声を掛ければ、何と三番まできちんと唄ってみせる。時代と共に生き抜いて来た歌なんだなぁ!と改めて感じ入ります。
だからこの映画は、単なる懐し印の映画じゃあない。時代と共に生きて来た日本の仲間たちへの、“お疲れ様!”。そして、“明日も元気で!”、と声を掛けたい、そういう思いで作られた映画なのです。“モノとカネ”から、“元気なココロ”へ!
そういう新しい時代へ、今一歩を踏み出そうとする、そんなあなたに向けて、ポン、と肩を叩いてあげたい、そういう願いの映画なのです。
そういう映画が、九州から生み出されました。大分県大分市、別府氏、竹田市、臼杵市、津久見市、そして福岡。多くの古里人と共にこの映画は作られました。そうそう、津久見の海辺の、ある小さな里に本屋さんを作り、その前にバス停を設置し、木製の椅子を一脚。ある老婦人に海を見ながら座っていて戴いた所、その御婦人の仰るには、「生まれて此の方、七十年を過ぎても、未だ一度もこの里から足を踏み出した事は御座居ません」。その御婦人の、まことに充足したお顔。まことに美しい、日本の海の里である。
人も風景も美しい、日本の古里。それは全國何処にでもある筈です。その凛とした美しさを、ぼくたちは永い間忘れて了っていた。いや、《なごり雪》や《22才の別れ》を歌い続けていたからこそ、忘れ切らないで、未だ心の底に温め続けていられたのかも知れない。
激動の時代を、企業戦士として生き抜いて来た人たちよ、その家族よ、子供たちよ。今こそもう一度、この歌を唄って、ぼくらの美しい古里を、子供たちの未来の暮しの場所を、再生しようではありませんか。

――――私の誕生日に 22本のローソクをたて。ひとつひとつが みんな君の 人生だねって言って。……
この日本には、美しい古里と人の心が、今も息衝いています。確かにこの歌が唄い継がれてきたこの三十余年、ぼくら日本人は色いろと惑いもし、間違いも犯して来たことでしょう。五年前の《なごり雪》では、その痛切な思いから、映画の最後では主人公が号泣するという終り方になっていました。
けれども今度の《22才の別れ》では、ぼくは自身の内部に希望を持っています。この映画の登場人物は六十代から二十代まで。殊に二十代はもうモノとカネの呪縛から解き放たれている。彼らはもうバブルを知らず、昔ながらの日本人に戻りつつある。それが激動の時代を戦い、生き抜いて、やや疲れ果てたぼくらを勇気付けてくれる。時代は巡り、日本は今若い世代から再生しつつある。それがこの《22才の別れ》という映画が持つ、元気となっているのです。
ココロの古里を呼び戻すために、日本の古里から生まれた映画《22才の別れ》。どうか今この歌を唄いながら、ぼくら日本の未来を見つめてみませんか?歌の持つ力、希望を信じさせてくれる力。これは切ないけれど、生きる情熱に出逢う映画なのです。 |